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2007年10月31日

インディオについて考察します

インディオについて考察します

スペイン語indio・ポルトガル語índioは、アメリカ州の先住民族のうちエスキモーやアレウト族などを除いた民族を総称することが多いが、日本語では北米と中南米の先住民族を区別して後者のみをインディオと呼ぶことが多い。インディアン(またはその言い換え)も同様の意味であるが、日本語では前者の総称として扱われることが多い。

インディオはスペイン語でインド人を指す言葉であり、クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸に到着したときに、その地をインド(当時は東アジア全体を指した)と誤解したことに由来する。 スペイン人の誤解がそのまま英語のインディアンに引継がれた。 インド人と区別するためにスペイン語ではアメリンディオ(amerindio)と呼ぶこともあるが、逆にインド人をインドゥ (hindu)と呼ぶことで区別することが多い。

インディオという言葉に侮蔑的な響きがあることから、現在は先住民のことをナティーボ (nativo,旧来の住人の意)やプレイスパニコ (prehispanico, スペイン以前の意)などということが多くなってきている。 また、カンペシーノ (campesino, 都市に住んでいない人)やアンテセデンテス (antecedentes, 先祖)という表現をすることもある(いずれもスペイン語。ポルトガル語では、例えばナティーヴなど)。

1920年代頃よりホセ・カルロス・マリアテギ等を中心にインディヘニスモ(先住民の復権)が唱えられるにつれ、先住民という意味の「インディヘナ (Indígena)」(ポルトガル語ではインディジェナ)という呼び方も普及していった。【ウィキペディアWikipediaより引用】

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2007年10月02日

ルソーの著作物

ジャン=ジャック・ルソージャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau, 1712年6月28日 - 1778年7月2日)は、フランスの哲学者・政治思想家・教育思想家・作家。単なる純理論にとどまらない多感さを反映した著作は広く読まれ、フランス革命にも多大な精神的影響を及ぼした。


生涯
1712年スイス ジュネーヴの時計職人の息子として生まれるが、母は数日後に死去。 7歳頃から父と共に小説や歴史の書物を読み、理性よりのも感情の優位を説く思想の基礎を築いた。1725年に父と兄が家を出てしまい、ルソーは牧師に預けられたのちに彫金工に弟子入りをするが3年後に出奔し、放浪生活を送る。 1731年にシャンベリーのヴァランス夫人のもとに落ち着き、自己教育の決意を固めたとされる。

夫人と別れたのち、1740年?41年にかけてリヨンのマブリ家(哲学者マブリ師、コンディヤック師の実兄の家)に滞在、マブリ家の家庭教師を務める。この職を辞した後、1742年に音楽の新しい記譜法を発表し、それを元手にパリに出てディドロらと親しくなる。これがきっかけで後の一時期、『百科全書』に原稿を執筆している。1745年、下宿の女中テレーズを愛人とし、10年間で5人の子供を産ませ、5人とも孤児院に捨てた。しかし1750年にディジョンのアカデミーへの懸賞論文「学問及び芸術の進歩は道徳の純化と腐敗のいずれに貢献したか」において執筆した『学問芸術論』が入選してこの不遇状態は一変、以後次々と意欲的な著作・音楽作品を創作する。ベストセラーとなった書簡体の恋愛小説『新エロイーズ』(1761年)、『社会契約論』(1762年)などはこの時期に書かれている。ただしこの間、ヴォルテール、ダランベール、ディドロら当時の思想界の主流とほとんど絶交状態となった。

1762年はじめに教育論『エミール』が刊行されると、そのなかの「サヴォア人司祭の信仰告白」のもつ自然宗教的な内容がパリ大学神学部から断罪され、『エミール』は禁書に指定され、ルソー自身に対しても逮捕状が出たためスイスに亡命した。亡命中は、スイス、イギリスなどを転々としたが、かれを保護したイギリスの哲学者ヒュームと不仲になり、1770年、偽名でパリに戻った。パリでは、亡命中から執筆していた『告白』を書き上げ、続いて『孤独な散歩者の夢想』を書き出したが、この作品は未完のままパリ郊外で亡くなった。


その他
ルソーに対する評価は、政治思想家、ロマン主義文学の先駆けというものが多いが、1960年代以降は、1750年代に書かれ、ルソーの死後に刊行された『言語起源論』が、レヴィ=ストロースなどの構造主義哲学者やデリダなどによって注目されている。

なお日本でおなじみになっている童謡「むすんでひらいて」の曲は、ルソーの作品であるオペラ「村の占者」の一節が、「ルソーの新しいロマンス」と言うタイトルで歌詞が付けられ、その旋律がヨーロッパ各国へ広まったものである。

著作物
『科学と技芸についてのディスクール』(『学問芸術論』)(Discours sur les sciences et les arts)(1750年)
幕間劇『村の占い師』(Le Devin du village) (1752年)
『人間の間の不平等の起源と基盤についてのディスクール』(『人間不平等起源論』)(Discours sur l'origine et les fondements de l'inégalité parmi les hommes) (1755年)
『言語の起源についてのエセー』(『言語起源論』)(Essai sur l'origine des langues) (非公刊)
『ジュリ または新エロイーズ』(Julie ou la nouvelle Héloïse) (1761年)
『社会契約について』(『社会契約論』)(Du Contrat Social) (1762年)
『エミール または教育について』]](Emile ou de l'éducation) (1762年)
ある日いつもの時間にカント先生が散歩に出てこないので、周囲の人々はなにかあったのかと騒ぎになった。実はその日、カントはジャン=ジャック・ルソーの『エミール』に読みふけってしまい、いつもの散歩を忘れてしまったのであった。カントはルソーに関し、『美と崇高の感情に関する観察』への『覚書』にて「わたしの誤りをルソーが正してくれた。目をくらます優越感は消えうせ、わたしは人間を尊敬することを学ぶ」と述べている。
『告白』(Les Confessions) (posthume) (1766年頃執筆)
マリー・アントワネットが言ったといわれる「パンが無ければお菓子(またはケーキまたはクロワッサン)を食べればいいじゃない」の台詞が良く知られているが、(原文は「Qu'ils mangent de la brioche」、訳せば、彼らにはブリオッシュを食べさせなさい)これは、告白録の第六巻に、ルソーがワインを飲もうとしたとき、パンがないとワインが飲めないので、パンを探したのだが、なかった。そのとき、ルソーは、ふっと「農民にはパンがありません」といわれて、「それならブリオッシュを食べればよい」とさる大公婦人が、答えたことを思い出したという記事が原典であるといわれている。それは、ルソーが新しい愛人が出来たヴァラン夫人と気まずくなって、マブリ家に家庭教師として行っていた時代1740年頃、であるらしい。
『孤独な散歩者の夢想』(Rêveries du promeneur solitaire) (死後公刊)
ルソーは、ディドロとダランベールの『百科全書』(l'Encyclopédie)の共同執筆もした
日本語テクストとしては、『ルソー全集』(全14巻・別巻2巻、白水社、1979年?1984年)がある。